小説作法
一 小説はいかにして作るものなるやどういふ風にして書《かく》ものなりやと問はるる人しばしばあり。これほど答へにくき問はなし。画《え》の道ならば『芥子園画伝《かいしえんがでん》』をそのままに説きもいづべく油画ならばまづ写生の仕方光線の取方絵具の調合なんど鴎外《おうがい》西崖《せいがい》両先生が『洋画|手引草《てびきぐさ》』にも記されたりと逃げもすべきに、小説かく道といひては原稿紙買ふ時西洋紙はよしたまへ、日本紙ならば反古《ほご》も押入の壁や古葛籠《ふるつづら》が張れて徳用とも答へがたく、さりとて万年筆は何じるしがよしともいひにくかるべし。
一 おのれいまだ一度《ひとたび》も小説家といふ看板かけた事はなけれど思へば二十年来くだらぬもの書きて売りしより、税務署にては文筆所得の税を取立て、毎年の弁疏《べんそ》も遂に聴入るる気色《けしき》なし。警視庁にては新聞図書検閲の役人|衆《しゅ》どうかすると葉書にておのれを呼出し小使に茶を持運ばせて、この小説は先生のお作ですなこの辺は少しどうも一般の読者には烈《はげ》しすぎるやうですこの次からは筆加減でとすつかり黒人扱《くろうとあつかい》なり。かうなつては遠慮も無用と先《まず》は宗匠家元《そうしょういえもと》の心意気にて小説のつくり方いかがとの愚問に対する愚答筆にまかせて書き出すといへどもこれ元より具眼《ぐがん》の士に示さんとするものならず。初学の人の手引ともならばなれかし。実をいへば税金を稼ぎいださん窮策なりかし。
一 小説は日常の雑談にもひとしきものなり。どういふ話が雑談なるや雑談は如何《いか》にしてなすべきものなりやと問はれなば誰《たれ》しも返事にこまるべし。世間の噂もはなしなり己《おのれ》が身の上愚痴も不平もはなしなり。日常身辺の事一として話の種ならざるはなし。然れども長屋の嚊《かか》が金棒《かなぼう》引くは聞くに堪《た》へず識者が茶話《さわ》にはおのづと聞いて身の戒《いましめ》となるもの多し。田舎者のはなしは七《しち》くどくして欠伸《あくび》の種となり江戸児《えどっこ》の早口は話の前後多くは顛倒《てんとう》してその意を得がたし。談話の善悪上品下品|下手《へた》上手《じょうず》はその人にあり。学ぶも得やすからず。小説の道またかくの如きか。
一 人|口《くち》あれば語る。人|情《じょう》あれば文をつくる。春|来《きた》つて花開き鳥歌ふに同じ。皆自然の事なり。これを究《きわ》むるの道今これを審美学《しんびがく》といふ。森先生が『審美綱領』『審美新説』を熟読せば事足るべし。仏蘭西《フランス》人ギヨオが学説また既に訳著あり。学者の説は皆聴くべし。月刊の文学雑誌新聞紙|等《とう》に掲載せらるる小説家また批評家の文芸論は悉《ことごと》く排斥して可なり。その何が故なるやを問ふなかれ。唯|蛇蝎《だかつ》の如く忌《い》み恐れよかし。
一 小説をかかんと志すものにおのづから二種の別あるが如し。その一は十七、八歳まだ中学に通ふ頃世に流布する小説を読み行く中《うち》自分もいつか小説かいて見たくなりて筆を執り初め、次第に興を得やがて学業の進むにつれ遂に確乎としてこの道に志すに至るもの。その二は既に高等専門の学業をも卒《お》へ志|定《さだま》りて後感ずる事ありて小説を作るものなり。桜痴福地《おうちふくち》先生は世の変遷に経綸《けいりん》の志を捨て遂に操觚《そうこ》の人となりぬ。柳浪広津《りゅうろうひろつ》先生は三十を越えて後《のち》初《はじめ》て小説を書きし由《よし》聞きたる事あり。夏目漱石《なつめそうせき》先生は帝国大学教授を辞して小説家となりし事人の知る所なり。然るにわれらが如きは二十《はたち》前後日常の書簡文も満足に(今でもさうですが)書けぬ中早くも小説の筆とりぬ。唯書いて見たかつたといふまでの事、同級の生徒が写真ヴァイオリン銃猟《じゅうりょう》などに凝《こ》りしも同然当人だけは大《おおい》に志あるやうに思ひしかど、大人《おとな》から見ればやはり少年の遊戯に過ぎざりしなるべし。されば仲間のものにはその文才を惜しまれながら中ほどより止めてしまふ人もままあるならひなり。
一 その始め少年の遊戯より起りたればとて後年その人の作を軽《かろん》ずるにも当らず、成人の後|大《おおい》に感憤して書いたものなりとてまたあながち尊ぶには及ばぬなり。善悪は唯その著述につきて見るべきなり。
一 好きこそ物の上手といふ諺《ことわざ》文学芸術の道に名をなす秘訣と知るべし。下手の横好きとは訳《わけ》ちがふなり。文芸の道は天賦《てんぷ》の才なくてはかなふべからず、その才なくして我武者羅《がむしゃら》に熱中するは迷ひにして自信とはいひがたかるべし。これ己《おのれ》を知らざる愚の証拠なり。我武者羅に押一手で成功するは唯|地女《じおんな》を口説《くど》き落す時ばかり。黒人《くろうと》にかかつては佐野治郎左衛門《さのじろざえもん》のためしあり。迷はおそろし。
一 文壇の治郎左衛門やはり田舎の人に多きやうなるはわが僻目《ひがめ》か。むやみに大作を携へ来つて月刊雑誌の編輯者を口説き、断られて憤怒《ふんぬ》すといへどもしかも思切れずして金あれば遂に自ら雑誌の経営を思立ち、性《しょう》の悪い文士の喰物となる話珍しからず。
一 女をくどくや先づ小当《こあた》りに当つて見て駄目らしければ退いて様子を窺《うかが》ふ気合《きあい》、これ己を知るものなり。文芸の道また色道に異るなし。およそ物事やつてゐる中《うち》に何といふ事なく自分で自分がわかつて来るものなり。そのわからざるは反省の力乏しきもの成功の見込みなき啻《ただ》に文芸の道においてのみならんや。
一 小説の創作は感情の激動ありて後沈思回想の心境に立戻り得て始めて為《な》さるるものなり。例へば自叙伝の執筆の如きわが身の上をも他人のやうに眺め取扱ふ余裕なくんばいかでか精緻《せいち》深刻なる心理の解剖《かいぼう》を試み得んや。フロマンタンが小説『ドミニック』ゲーテが小説『ウェルテルの愁《うれい》』の如き万世この種の制作の模範となるべきものを熟読して初学者よくよく考ふべきなり。
一 読書思索観察の三事は小説かくものの寸毫《すんごう》も怠りてはならぬものなり。読書と思索とは剣術使の毎日道場にて竹刀《しない》を持つが如く、観察は武者修行に出《い》でて他流試合をなすが如し。読書思索のみに耽りて世の中人間実地の観察を怠るものはやがて古典に捉はれ感情の鋭敏をかくに至るべく、己《おのれ》が才をたのみて実地の観察一点張にて行くものはその人非凡の天才ならぬ限り大抵は行きづまつてしまふものなり。前の二事は草木における肥料に等しく後の一事は五風十雨《ごふうじゅうう》の効《こう》あるもの。肥料多きに過ぎて風に当らざれば植木は虫がつきて腐つてしまふべし。さればこの三つ兼合《かねあ》ひの使ひ分けむづかしむづかし。
一 読書は閑暇なくては出来ず、いはんや思索空想また観察においてをや。されば小説家たらんとするものはまづおのれが天分の有無《ゆうむ》のみならず、またその身の境遇をも併せ省《かえりみ》ねばならぬなり。行く行くは親兄弟をも養はねばならぬやうなる不仕合《ふしあわせ》の人は縦《たと》へ天才ありと自信するも断じて専門の小説家なぞにならんと思ふこと勿《なか》れ。小説は卑《いや》しみてこれを見れば遊戯雑技にも似たるもの、天性文才あらば副業となしてもまた文名をなすの期なしとせず。青春意気旺盛の頃一、二の著作評判よきに夢中となりその境遇をも顧みず文壇に乗出で、これからといふ肝腎《かんじん》な所にて衣食のために濫作し折角の文才もすさみ果て、末は新聞記者雑誌の編輯人なぞに雇はれ碌々《ろくろく》として一生を終るものあるを思はば、一たん正業に就きて文事に遠ざかるとも、やがて相応の身分となり幾分の余裕を得て後|再《ふたたび》筆を執るも何ぞ遅きにあらんや。平素その心を失はずば半生|世路《せろ》の辛苦は万巻の書を読破するにもまさりて真に深く人生に触れたる雄篇大作をなす基《もとい》ともなりぬべし。支那の文学は『離騒《りそう》』を始めとして韓柳《かんりゅう》の文|李杜《りと》の詩に至るまで皆副業の産物なり。西洋の文学を見るもモリエールは旅役者なりけり。ウォルテール、シャトオブリアンの如き一代の文豪終生唯机にのみ向ひゐたる人にはあらず。
一 清《しん》の名家|袁随園《えんずいえん》が『詩話』巻《まきの》四に「詩ハ淡雅《たんが》ヲ貴《たっと》ブトイヘドモマタ郷野《きょうや》ノ気有ルベカラズ。古《いにしえ》ノ応劉鮑謝李杜韓蘇《おうりゅうほうしゃりとかんそ》皆官職アリ。村野《そんや》ノ人ニ非《あ》ラズ。ケダシ士君子《しくんし》万巻《ばんかん》ヲ読破スルモマタ須《すべか》ラク廟堂ニ登リ山川《さんせん》ヲ看《み》交《まじわり》ヲ海内《かいだい》名流ニ結ブベシ。然ル後|気局《ききょく》見解自然ニ濶大《かつだい》ス、良友ノ琢磨《たくま》ハ自然ニ精進《せいしん》ス。否《しから》ザレバ鳥啼《ちょうてい》虫吟《ちゅうぎん》沾沾《ちょうちょう》トシテ自《みずか》ラ喜ビ佳処《かしょ》アリトイヘドモ辺幅《へんぷく》固已《もと》ヨリ狭シ。人ニ郷党|自好《じこう》ノ士アリ。詩ニモマタ郷党自好ノ詩アリ。桓寛《かんかん》ガ『塩鉄論《えんてつろん》』ニ曰ク鄙儒《ひじゅ》ハ都士《とし》ニ如《し》カズト。信ズベシ矣。」とあり初学者よくよく読み味ひて前条おのれが言ふ所と照し見よかし。
一 わが日本の文化は今も昔も先進大国の摸倣によりて成れるものなり江戸時代の師範は支那なり明治大正の世の師とする所は西洋なり。然《さ》れば漢文欧文そのいづれかを知らざれば世に立《たち》がたし。両方とも出来れば虎に翼《つばさ》あるが如し。国文はさして要なけれどもしこれを知らんとせばやはり漢文|一通《ひととおり》の知識必要なり。本店の内幕《うちまく》を知れば支店の事はすぐわかる道理。大正現代の文学はその源《みなもと》一から十まで悉《ことごと》く西洋近世の文学にあり。
一 東京市中自動車の往復頻繁となりて街路を歩むにかへつて高足駄《たかあしだ》の必要を生じたり。古きものなほ捨つべきの時にあらず。日本現代の西洋摸倣も日本語の使用を法律にて禁止なし、これに代《か》ふるに欧洲語を以てする位の意気込とならぬ限りこの国の小説家漢文を無視しては損なり。漢字節減なぞ称《とな》ふる人あれどそれは社会一般の人に対して言ふ事にて小説家には当てはまらず。凡そ物事その道々によりて特別の修業あり。桜紙《さくらがみ》にて長羅宇《ながラウ》を掃除するは娼妓《しょうぎ》の特技にして素人《しろうと》に用なく、後門《こうもん》賄賂《わいろ》をすすむるは御用商人の呼吸にして聖人君子の知らざる所。豆腐々々と呼んで天秤棒《てんびんぼう》かつぐには肩より先に腰の工合《ぐあい》が肝腎《かんじん》なり。仕立屋となれば足の栂指《おやゆび》を働かせ、三味線引《しゃみせんひき》となれば茶椀の底にて人さし指を叩いて爪をかたくす。漢字は日本文明の進歩を阻害すといひたければいふもよし、在来の国語存するの限り文学に志すものは欧洲語と併せて漢文の素養をつくりたまへ。翻訳なんぞする時どれほど人より上手にやれるか物はためしぞかし。
一 小説といふ語はもと日本語にあらず、戯曲|院本《いんぽん》なぞいふも皆漢文より借り来《きた》れるもの。これだけにても日本の小説家たるもの欧洲語の外に漢文も少しはのぞいて置く必要あるべし。小説の語は張衡《ちょうこう》が『西京賦《せいけいふ》』に「小説九百本自虞初」〔小説 九百、本《もと》 虞初《ぐしょ》自《よ》りす〕といふに始り院本の名は金《きん》に始まる事|陶九成《とうきゅうせい》が『輟耕録《てっこうろく》』に「唐有伝奇[#「唐有伝奇」に傍点]。宋有戯曲渾詞説[#「宋有戯曲渾詞説」に傍点]。金有院本雑劇其実一也[#「金有院本雑劇其実一也」に傍点]。」〔唐《とう》に伝奇《でんき》有《あ》り。宋《そう》に戯曲、渾《こん》、詞説《しせつ》有り。金《きん》に院本《いんぽん》、雑劇《ざつげき》有り、其《そ》の実《じつ》は一なり。〕とあるによりて知らる。これ鷲津毅堂《わしづきどう》先生が『親燈余影《しんとうよえい》』に出でたり。
一 鴎外先生若き頃バイロンの詩を訳せらるるに何の苦もなく漢字を以て韻《いん》を押し平灰《ひょうそく》まで合せられたり。一芸に秀《ひい》づるものは必ず百芸に通ず。これ一事《いちじ》を究《きわ》め貫《つらぬ》かんと欲すればおのづから関聯《かんれん》して他の事に及ぶが故なり。細井広沢《ほそいこうたく》は書家なれど講談で人の知つたる堀部安兵衛《ほりべやすべえ》とは同門の剣客《けんかく》にて絵も上手なり。当世の文士小説かくと六号活字の文壇消息に憎まれ口きくだけが能《のう》とはあまりに潰《つぶ》しがきかな過ぎる話。物貨騰貴《ぶっかとうき》の世の中どつちへ転んでも少しは金の取れる余技一、二種ありてもよささうなもの也。
一 たまたま柳里恭《りゅうりきょう》の『画談』といふものを見しに、次の如き条《くだり》あり。曰く総じて世の中には井《い》の蛙《かわず》多し梁唐宋元明《りょうとうそうげんみん》の名ある画《が》を見ることなき故に絵に力なし。千里を行《ゆく》も爪先《つまさき》の向けやうにて始まる者なれば物事は目の附けやうこそ大切なれ。善き所に目を附けて学ぶ人は早くその可《か》を悟り悪しき所に目を附け学ぶ人は老に至るもその不可《ふか》を知らず。例へば彼の蠅は一丁か二丁ばかりは精出して飛びそれより外に飛びもならぬ者なれど馬の背なぞにひよつと止まりぬれば一日に十里も行くが如し云々《しかじか》。
一 おのれ初学のものに月刊文学雑誌または新聞紙文芸欄なぞにいづる批評を目にする勿《なか》れと戒しむるは世に有益なる書物聞くに足るべき学者の説あるに、それはさて置きかかるものに目をつくるは即ち「悪しき処に目をつくるもの」なればなり。文学雑誌の投書欄に小品文短篇小説なぞの掲載せらるるを無上の喜びとなすものはまづ大成の見込なきものなり。柳里恭がいはゆる「爪先の向けやう」わるきものにして千里を行くものにあらず。
一 論より証拠は今日文壇の泰斗《たいと》と仰がるる人々を見よかし。森先生の弱冠にして『読売新聞』に投書せられしは今のいはゆる地方青年投書家の投書と同じからず。紅葉《こうよう》露伴《ろはん》樗牛《ちょぎゅう》逍遥《しょうよう》の諸家初めより一家の見識気品を持して文壇に臨《のぞ》みたり。紅葉門下の作者に至りても今名をなす人々皆然り。
一 学歴なんぞはどうでもよきものなれど今日の大学は明治中頃の尋常中学校位の程度のものになり下《さが》りたれば、まづ何事をなすにも学士もしくはそれに相応する教育を受けてより後《のち》の事なり。さるを学士の位を得たりとて安心するやうな人は話にならず。学問芸術はますます究《きわ》むるに従ひていよいよ疑を生ずるものなり。疑を抱かざる人はその道未だ進まざるものと見て誤《あやまり》なし。
一 おのれかつて井川滋《いかわしげる》君と『三田文学』を編輯せし頃青年無名の作家のその著作を公《おおやけ》にせん事を迫り来れるもの頻々《ひんぴん》応接に遑《いとま》あらざるほどなるに、一人《いちにん》として草稿の辞句なぞ正したまはれといふものはなかりけり。これ浅学の余七年間大学部教授|並《ならび》に主筆の重職にありながら別に耻《はじ》一つかかずお茶を濁《にご》せし所以《ゆえん》ぞかし。道場破りの宮本武蔵《みやもとむさし》来らず、内弟子ばかりに取巻かれて先生々々といはれてゐれば剣術使も楽なもの。但しかういふ先生芝居ではいつも敵役《かたきやく》。華魁《おいらん》にはもてませぬテ。
一 おのれが観る処にして誤らずんば今日の青年作家は雑誌に名を出《いだ》さんがために制作するもの活字になる見込なければ制作の興会《きょうかい》は湧かぬと覚し。
一 どうやら隠居の口小言《くちこごと》のみ多くなりて肝腎の小説|作法《さくほう》はお留守になりぬ。初学者もし小説にでも書いて見たらばと思ひつく事ありたらばまづその思ふがままにすらすらと書いて見るがよし。しかして後|添刪《てんさく》推敲《すいこう》してまづ短篇小説十篇長篇小説二篇ほどは小手調《こてしらべ》筆ならしと思ひて公にする勿《なか》れ。その中《うち》自分にても一番よしと思ふものを取り丁寧に清書してもし私淑《ししゅく》する先輩あらばつてを求めてその人のもとに至り教を乞ふべし。菓子折なぞは持参するに及ばず。唯草稿を丁寧に清書して教を乞ふ事礼儀の第一と心得べし。小説のことなれば悉《ことごと》く楷書《かいしょ》にて書くにも及ばじ、草行《そうぎょう》の書体を交《まじ》ふるも苦しからねど好加減《いいかげん》の崩《くず》し方《かた》は以ての外《ほか》なり。疑しき所は『草訣弁疑《そうけつべんぎ》』等の書について自《みずか》ら正せ。
一 小説は独創を尚《たっと》ぶものなれば他人の作を読みてそれより思ひつきたる事はまづ避くるがよし。おのれの経験より実地に感じたる事を小説にすべし。腹案成りて後他人の作を参考とするはさして害なからん。
一 小説の価値は篇中人物の描写|如何《いかん》によりて定まる。作者いかほど高遠の理想を抱きたりとて人物の描写|拙《つたな》ければ唯理論のみとなりて小説にはならず。人物の描写は筆先《ふでさき》の仕事にあらず実地の観察と空想の力とありて初めてなさるるものなり。
一 脚色の変化に重《おもき》を置き人物の描写を軽んずるものはいはゆる通俗小説にして小説の高尚なるものにあらず。人物の描写を骨子《こっし》とすれば脚色はおのづからできて来るものなり。
一 人物描写の法一個人の性格生涯をそのままモデルとなす事あり。甲乙丙丁数人の性格を取捨按排《しゅしゃあんばい》してここに特別の人物を作出《つくりだ》す事あり。別に定法《ていほう》なし。唯何事も内面より観察するを必要とす。外面より観察してこれを描写するは易《やす》く内面よりするは難《かた》し。ゾラの小説は人物の描写とかく外部よりする傾《かたむき》を憾《うら》みとす。フローベルが『マダム・ボワリー』。トルストイの『アンナ・カレニナ』。アナトール・フランスの『紅百合《べにゆり》』。オクターブ・ミルボーが『宣教師の叔父』。アンリイ・ド・レニエーが『貴族ブレオーの交遊』なぞいふ作は各《おのおの》作風を異《こと》にすといへどもいづれも主として内面より人物の描写に力《つと》めたる名著なり。
一 ここに人物を主とせざる小説にしてその価値前条述ぶる所のものに劣らざるものあり。即《すなわち》都市|山川《さんせん》寺院の如き非情のものを捉へ来りてこれに人物を配するが如き体《てい》を取れるものあるいは群集一団体の人間を主となしかへつて個人を次となせるが如きものあり。ローダンバックの『廃市ブリュージ』。ゾラの『坑夫ゼルミナル』。ブラスコ・イバネスの『五月の花』の如きをその一例とす。象徴詩家が散文の著作には怪異の体裁をとれるもの多し。これらは初学者の学びやすきものに非《あらざ》れば例外として言はず。
一 およそ小説の作風抒情を主とするもの、叙事に重《おもき》を置くもの、客観的《かっかんてき》なるもの、主観的なるもの、空想的なるもの、写実的なるもの、千態万様《せんたいばんよう》、一々説明しがたしといへども、その価値は唯作者の人格にありといはば一言《いちごん》にして尽くべし。
一 人誰しも若き時は感激しやすく、中年となれば感激次第に乏しくなる代り、世の中の事|明《あきらか》に見ゆるやうになるものなり。されば小説家たるものその年齢に従ひて書きたしと思ふものを書くがよし。文壇の風潮たとへば客観的小説を芸術の上乗《じょうじょう》なるものとなせばとて強《し》ひてこれに迎合《げいごう》する必要はなし。作者|輙《すなわ》ちおのれの柄《がら》になきものを書かんとするなかれ。さりとていつもいつも十八番《じゅうはちばん》の紋切形《もんきりがた》を繰返せといふにはあらず。人間|身体《からだ》の組織も七年ごとに変るといへば作者小成に安んぜず平素|研鑽《けんさん》怠ることなくんば人に言はるるより先に自分から不満足を感じ出し、作風は自然と変化し行くべし。
一 小説は人物の描写叙事叙景何事も説明に傾かぬやう心掛くべし。読む者をして知らず知らず編中の人物風景ありありと目に見るやうな思をなさしむる事、これ小説の本領なり。史伝は説明なり。小説は描写なり。
一 説明|七《しち》くどき時は肩が張り描写長たらしき時は欠伸《あくび》の種となる。いづれも上手とはいひがたし。筆を執るものここにおいてあるいは文勢を変じあるいは省略の法を取り、あるいは叙事の前後を顛倒《てんとう》せしめて人を飽かしめざらん事をつとむ。この呼吸は読書に創作にいろいろとこの道の経験をつむに従つて会得《えとく》するものなり。
一 史伝といへども終始説明の文体を以てのみするものならず、しばしば小説風の描写を交ふ。小説また徹頭徹尾描写をのみつづくるものにあらず、伝記めきたる説明かへつて簡古《かんこ》の功を奏することあり。落語講談時に他山《たさん》の石《いし》となすに足る。
一 小説|作法《さくほう》の中《うち》人物描写に次ぎて苦心すべきは叙景なり(対話は人物描写の一端と見るが故にここに言はず)小説中の叙景は常に人物と蜜接の関係を保たしむべし。その巧みなるものはかへつて直接に人物の説明をなすよりも効能ある事あり。アナトール・フランス作中しばしば見る処の学者の書斎庭園等の描写の如し。
一 叙景も外面の形より写さず内面より描く方法を取るべし。ハイカラに言へば絵画的たらんよりも音楽的たるべし。この処|即《すなわち》南画の筆法と見てよし。写生に出でて写生を離るる事なり。
一 写生を離れんと欲すればまづ写生に力《つと》むる事初学者の取るべき道なるべし。小説は万事に渉《わた》りて細心の注意を要するものなれば一人物を描かんとするや、まづその人物の活動すべき場面の中《うち》街路田園|等《とう》写生し得べき処は一応写生して置くがよし。筆にて記さずとも実地に観察して心に記憶すれば足るべし。或小説家|逗子《ずし》の海岸にて男女の相逢ふさまを描くや明月海の彼方《かなた》より浮び出で絵之島《えのしま》おぼろにかすみ渡りてなどと美しき景色をあしらひしに、読巧者《よみごうしゃ》の人これを見て逗子の地形東に山あり西に海ありその彼方より月の出《いづ》る理《り》なし。沈むの誤《あやまり》ならずやと言はれて言句《ごんく》につまりしとの話あり。写生を念頭に置けばかかる誤はおのづとなくなるなり。
一 小説かかんと思はば何がさて置き一日も早く仏蘭西《フランス》語を学びたまへ。但し手ほどきは日本人についてなす事|禁物《きんもつ》なり。暁星《ぎょうせい》学校の夜学にでも行きその国人についてなすべし。何事も手ほどきが肝腎なり。踊三味線などもくだらなき師匠につきて手ほどきしたるものはいやな癖つきその後はいかなる名人の弟子となるとも一度つきたる癖は一生直らぬものなりとぞ。日本人のとかく語学に不得手《ふえて》なるやうにいはるるは中学校にて日本の教師に英語の手ほどきされるがためなるべし。小学中学の恐るべきはこれだけにても知らるるなり。
一 小説家たらんとするもの辞典と首引《くびぴき》にて差支なければ一日も早くアンドレエ・ジイドの小説よむやうにしたまへかし。戦争以来多く新刊の洋書を手にせざれば近頃はいかなる新進作家の現れ出でしやおのれよくは知らねど、まづ新しき小説の模範としてはジイド、レニエーあたりの著作に、新しき戯曲の手本としてはポオル・クローデルあたりのものに目をつけ置かばたいした間違ひはなきもののやうに思はるるなり。
小説総論
人物の善悪を定めんには我に極美(アイデアル)なかるべからず。小説の是非を評せんには我に定義なかる可らず。されば今書生気質の批評をせんにも予め主人の小説本義を御風聴して置かねばならず。本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも退屈なれば書く主人にも迷惑千万、結句ない方がましかも知らねど、是も事の順序なれば全く省く訳にもゆかず。因て成るべく端折って記せば暫時の御辛抱を願うになん。
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凡そ形(フホーム)あれば茲に意(アイデア)あり。意は形に依って見われ形は意に依って存す。物の生存の上よりいわば、意あっての形形あっての意なれば、孰《いずれ》を重とし孰を軽ともしがたからん。されど其持前の上よりいわば意こそ大切なれ。意は内に在ればこそ外に形《あら》われもするなれば、形なくとも尚在りなん。されど形は意なくして片時も存すべきものにあらず。意は己の為に存し形は意の為に存するものゆえ、厳敷《きびしく》いわば形の意にはあらで意の形をいう可きなり。夫の米《べー》リンスキー[#ここから割り注]魯国の批評家[#ここで割り注終わり]が世間唯一意匠ありて存すといわれしも強ちに出放題にもあるまじと思わる。
形とは物なり。物動いて事を生ず。されば事も亦形なり。意物に見《あら》われし者、之を物の持前という。物質の和合也。其事に見われしもの之を事の持前というに、事の持前は猶物の持前の如く、是亦形を成す所以のものなり。火の形に熱の意あれば水の形にも冷の意あり。されば火を見ては熱を思い、水を見ては冷を思い、梅が枝に囀《さえ》ずる鶯の声を聞ときは長閑《のどか》になり、秋の葉末に集《すだ》く虫の音を聞ときは哀を催す。若し此の如く我感ずる所を以て之を物に負わすれば、豈《あ》に天下に意なきの事物あらんや。
斯くいえばとて、強ちに実際にある某の事某の物の中に某の意全く見われたりと思うべからず。某の事物には各其特有の形状備りあれば、某の意も之が為に隠蔽せらるる所ありて明白に見われがたし。之を譬うるに張三も人なり、李四も亦人なり。人に二なければ差別あるべき筈なし。然るに此二人のものを見て我感ずる所に差別あるは何ぞや。人の意尽く張三に見われたりといわんか夫の李四を如何。若《もし》李四に見われたりといわんか夫の張三を如何。して見れば張三も李四も人は人に相違なけれど、是れ人の一種にして真の人にあらず。されば未だ全く人の意を見わすに足らず。蓋《けだ》し人の意は我脳中の人に於て見わるるものなれど、実際箇々の人に於て全く見わるるものにあらず。其故如何と尋るに、実際箇々の人に於ては各々自然に備わる特有の形ありて、夫の人の意も之が為に妨げられ遂に全く見われ難きによるなり。故曰、形は偶然のものにして変更常ならず、意は自然のものにして万古易らず。易らざる者は以て当《あて》にすべし、常ならざる者|豈《あに》当《あて》にならんや。
偶然の中に於て自然を穿鑿し種々の中に於て一致を穿鑿するは、性質の需要とて人間にはなくて叶わぬものなり。穿鑿といえど為方《しかた》に両様あり。一は智識を以て理会する学問上の穿鑿、一は感情を以て感得する美術上の穿鑿是なり。
智識は素と感情の変形、俗に所謂智識感情とは、古参の感情新参の感情といえることなりなんぞと論じ出しては面倒臭く、結句|迷惑《まごつき》の種を蒔くようなもの。そこで使いなれた智識感情といえる語を用いていわんには、大凡世の中万端の事智識ばかりでもゆかねば又感情ばかりでも埒明かず。二二※[#小書き片仮名ン、237-11]が四といえることは智識でこそ合点すべけれど、能く人の言うことながら、清元《きよもと》は意気で常磐津《ときわず》は身《み》があるといえることは感情ならでは解《わか》らぬことなり。智識の眼より見るときは、清元にもあれ常磐津にもあれ凡そ唱歌といえるものは皆人間の声に調子を付けしものにて、其調子に身の有るものは常磐津となり意気なものは清元となると、先ず斯様に言わねばならぬ筈。されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかいうものは如何なもので御座る、拙者未だ之を食うたことは御座らぬと、剽軽者あって問を起したらんには、よしや富婁那《ふるな》の弁ありて一年三百六十日|饒舌《しゃべ》り続けに饒舌りしとて此返答は為切《しき》れまじ。さる無駄口に暇潰《ひまつぶ》さんより手取疾《てっとりばや》く清元と常磐津とを語り較べて聞かすが可《よ》し。其人聾にあらざるよりは、手を拍ってナルといわんは必定。是れ必竟するに清元常磐津直接に聞手の感情の下に働き、其人の感動(インスピレーション)を喚起し、斯くて人の扶助を待たずして自ら能く説明すればなり。之を某学士の言葉を仮りていわば、是れ物の意保合の中に見われしものというべき乎。
然るに意気と身といえる意は天下の意にして一二唱歌の私有にはあらず。但唱歌は天下の意を採って之に声の形を付し以て一箇の現象とならしめしまでなり。されば意の未だ唱歌に見われぬ前には宇宙間の森羅万象の中にあるには相違なけれど、或は偶然の形に妨げられ或は他の意と混淆しありて容易には解《わか》るものにあらず。斯程《かほど》解らぬ無形の意を只一の感動(インスピレーション)に由って感得し、之に唱歌といえる形を付して尋常の人にも容易に感得し得らるるようになせしは、是れ美術の功なり。故曰、美術は感情を以て意を穿鑿するものなり。
小説に勧懲摸写の二あれど、云々の故に摸写こそ小説の真面目なれ。さるを今の作者の無智文盲とて古人の出放題に誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生|切歯《はがみ》をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ。主人の美術定義を拡充して之を小説に及ぼせばとて同じ事なり。抑々小説は浮世に形《あら》われし種々雑多の現象(形)の中にて其自然の情態(意)を直接に感得するものなれば、其感得を人に伝えんにも直接ならでは叶わず。直接ならんとには摸写ならでは叶わず。されば摸写は小説の真面目なること明白なり。夫の勧懲小説とは如何なるものぞ。主実主義(リアリズム)を卑んじて二神教(ヂュアリズム)を奉じ、善は悪に勝つものとの当《あて》推量を定規として世の現象を説んとす。是れ教法の提灯持のみ、小説めいた説教のみ。豈《あ》に呼で真の小説となすにたらんや。さはいえ摸写々々とばかりにて如何なるものと論定《ろんじさだ》めておかざれば、此方にも胡乱《うろん》の所あるというもの。よって試に其大略を陳《のべ》んに、摸写といえることは実相を仮りて虚相を写し出すということなり。前にも述し如く実相界にある諸現象には自然の意なきにあらねど、夫の偶然の形に蔽われて判然とは解らぬものなり。小説に摸写せし現象も勿論偶然のものには相違なけれど、言葉の言廻し脚色の摸様によりて此偶然の形の中に明白に自然の意を写し出さんこと、是れ摸写小説の目的とする所なり。夫れ文章は活《イキ》んことを要す。文章活ざれば意ありと雖も明白なり難く、脚色は意に適切ならんことを要す。適切ならざれば意充分に発達すること能わず。意は実相界の諸現象に在っては自然の法則に随って発達するものなれど、小説の現象中には其発達も得て論理に適わぬものなり。譬ば恋情の切なるものは能く人を殺すといえることを以て意と為したる小説あらんに、其の本尊たる男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文《せいもん》も悉皆《しっかい》鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に手を執って淵川に身を沈むるという段に至り、是ではどうやら洒落に命を棄て見る如く聞えて話の条理わからぬ類は、是れ所謂意の発達論理に適わざるものにて、意ありと雖も無に同じ。之を出来損中の出来損とす。
夫れ一口に摸写と曰うと雖も豈容易の事ならんや。羲之《ぎし》の書をデモ書家が真似したとて其筆意を取らんは難く、金岡の画を三文画師が引写にしたればとて其神を伝んは難し。小説を編むも同じ事也。浮世の形を写すさえ容易なことではなきものを況《まし》てや其の意をや。浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。写して意形を全備するものは上手の作なり。意形を全備して活たる如きものは名人の作なり。蓋し意の有無と其発達の功拙とを察し、之を論理に考え之を事実に徴し、以て小説の直段《ねだん》を定むるは是れ批評家の当に力むべき所たり。
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